2014年11月1日土曜日

岸田今日子主演映画『砂の女』の感想

砂の女 (新潮文庫)
砂の女 (新潮文庫)
砂の女 特別版 [DVD]
映画『砂の女』
1964年2月15日公開(全国公開は1964年4月14日)
監督:勅使河原宏
脚本:安部公房
原作:安部公房
製作:市川喜一、大野忠
音楽:武満徹
撮影:瀬川浩
編集:守随房子
配給:東宝
勅使河原プロダクション製作
【出演者】
男(仁木順平):岡田英次
女(砂の女):岸田今日子
村の老人:三井弘次、村人:矢野宣、村人:観世栄夫
村人:関口銀三、村人:市原清彦、村人:西本裕行
砂の女 - Wikipedia
※『砂の女』(すなのおんな)は、安部公房の書き下ろし長編小説。
※ネタばれします・・・
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映画のオープニング・・・
キャスト・スタッフ紹介での『ハンコ(判子)を利用した映像表現』がオモシロかったです・・・
「岡田英次・岸田今日子のテロップと共に岡田・岸田の判子で押された印の画が映る・・・」
(中にはハンコじゃなくて拇印の人もいる・・・)

で、キャスト紹介のシーンを観ていてちょっと怖いっと思ったのが・・・↓
最初の最初の場面・・・ハンコ・印(←ここではおそらく『人』或いは『人の顔』に
見立てたものだと思うのですが)、それが砂(砂を表現した線)の中に埋もれているという画が2場面、一瞬映るのです・・・
ある砂の場所には大量のハンコ・印が押されている・・・
これは、人がそこに大量に埋まっていることを意味するのではないだろうか?
これまでに連れ去られてきた人達で亡くなった人達の墓場をあらわしている・・・?
なんとも恐ろしい画です・・・


オープニング早々からバックで流れる音楽が怖い!
この映画、音楽が秀逸です・・・
砂の神秘、砂の魔力、そこに翻弄される人の心理、とにかく奇異なその世界を
みごと表現していると思いました・・・≪音楽:武満徹≫
武満徹 - Wikipedia


随所に盛り込まれている砂の映像が本当に素晴らしいです・・・
(まるで生きているかのように蠢く砂・・・ 本当に恐ろしい・・・)
恐怖を覚える映像です・・・
1/8ミリの粒粒・・・
砂の呪縛、砂の魔性、魅惑、猛威・・・なんともいえない迫力と美しさがあります・・・
※これがもし、今(現代)の映画だったら、砂を表現するのにCGを(当たり前の
ように)使って、なんとも味気ない残念な映像に仕上がっていたかもしれない・・・


素晴らしい映画でした。
(久しぶりに)何かを考えさせられる映画でした。

はじめ(映画を観る前)私はこの『砂の女』という作品は、妖怪とか幽霊等が
出てくるたぐいのファンダジーホラーなフィクション映画だと思っていたのです、が・・・
どうやら違っていたようです・・・
ここまで現実的(リアル)な映画だったとは・・・

これはある意味、ノンフィクション映画といっても過言ではない・・・(?)

とても日本的で、とても村社会的で・・・とても、人間、人生を象徴していて・・・
≪砂の呪縛、自然の呪縛、人間の呪縛、現代社会の呪縛・・・≫
なんだかとてつもなく重苦しく辛辣なものを見せられたような気持ちになりました・・・


男『しかしわからん・・・こんなことをしていて空しいとは思わないのかな?
生きるために砂かきをしているんだか、砂かきをするために生きているんだか・・・』

この言葉が、私の胸に刺さりました・・・
これは、日本という国における・・・或いは人生における『あるあるネタ』ではないだろうか・・・(?)
(私もこれまでの人生において過去5000回ぐらい虚しい行動をとったような気がします・・・)
日本という国において、或いは人生において、本当に究めて非生産的で虚しい行動をとらざるをえないことが、しばしばある・・・←これは避けられないことなんだろうか?・・・


男『嘘でもいいんだよ・・・たぶん明日、何か違ったことが起こるかもしれないという
希望があれば・・・』

↑・・・誰もがこんな感じで日常生活を送っているのではないだろうか(?)・・・
そして、その希望がいざ適おうとする瞬間になぜかそれを適えようとしない自分がいる・・・

砂の穴の中から脱出することだけが希望だったのに、いざそれが可能になった時に
「それはいつでもできることだから」と(脱出をせず)、希望を希望のまま置いておく選択をしてしまう・・・

砂の女『あたしは怖くってさ、毎朝寝る時、起きてみたら
また一人きりになってるんじゃないかと思って・・・本当にもうそれが怖くて・・・』

↑・・・臆病になってしまうと、その場から(その思考から)動けなくなる人間・・・
この心理はとても女性的な考え方だと思いました・・・(当時、何かにすがってしか生きることができなかった女性ならではの心理?)

砂の女『だって、砂がなかったら誰も私のことなんかかまっちゃくれないんだから・・・
そうでしょう?お客さんだって・・・』
男『・・・・・(無言)』

↑・・・いつからそう思うようになってしまったのかはわかりませんが、
砂と砂の女の関係は共依存の状態になってしまっている・・・

※生きていると自分の身の回りにあるものに強く依存してしまうのは仕方ないことなのかもしれない(?)・・・


毛細管現象 - Wikipedia


クライマックス
「男が砂の穴の中から縄梯子を登って脱出→ひさしぶりに海を眺めるシーン・・・↓
男はあまり感動していない様子で・・・ただ呆然としている・・・
海の上には暗雲がたちこめているのが,
一部分だけポッカリ丸く抜け穴みたいに雲がない部分があって、そこから太陽の
光が差し込んでいる・・・
せっかく砂の穴から脱出したのにまるでまだ穴の中にいるみたいだ・・・
本当に脱出するにはあの光の穴に縄梯子を通して天空まで登っていかなければならないのか・・・」

なんとなくこのシーンを観ていて、こんな感じの男の心理(勝手な解釈ですが)が
頭の中に浮かびました・・・
そして、なんとなく芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』のイメージが重なりしました・・・


七年以上生死不明の為失踪者とする。
不在者 仁木順平

ラスト←個人的にはかなりショックな終わり方でした・・・

『結局・・・逃げないのか・・・』

どんなに不条理・理不尽な境遇にあってもそれを受け入れて、その中で
ささやかな楽しみを見つけ、慎ましやかに暮らしてゆくしかない・・・

おそらく主人公の男は砂の中で、「砂の女」と一生を共に過ごすのであろう・・・
おそらく砂の女と間に子供をもうけ・・・
村人に貯水装置の発見によって認められ、それなりに幸せな?人生を送るのであろう・・・

それは別段悪いこととは言えず、ただただ人生はそういうものであるということを
なんとなく思い知らされているような・・・そんな気がして・・・
私はなぜか気が滅入るというか疲れた感じになってしまうのでした・・・


この映画の「成功」は岸田今日子のキャラクターによるものが大きいと感じました・・・
岸田今日子―あかり合わせがはじまる (人間の記録)
岸田今日子の演技はもちろん、天賦の雰囲気というか顔立ちというか声も含めた
すべてのエッセンスが
『砂の女』にぴたっとはまっていると思いました・・・

一重に見えるが実は二重まぶた・・・(この女は可愛いのかぶさいくなのか・・・?)
なんともいえない独特の魅力を兼ね備えています・・・
本当に良いものを観たという気にさせてもらえました。